皆さんは「ジュニアスポーツ車」や「ロードマン」と言われたスーパーカー自転車をご存じだろうか?1970年代(昭和45年)くらいから小学生に大人気だった子供用自転車である。人気と言っても高価な物なので自分が住む田舎の方では乗っている子は多くなかった。
自分が初めてスーパーカー自転車を見たのは小学3年生くらいだったと思う。一緒に遊ぶ約束をしていた4年生の近所のお兄ちゃん(以下Y君)がジュニアスポーツ車に乗って表れたのだ。おそらく買ってもらったばかりでピカピカ輝いていた。
さっそうと現れたY君は、私を含めて待っていた3年生数人の前で後ろのタイヤを横滑りさせて止まった。帽子には読売ジャイアンツのロゴが入っている。
ともかく初めて見たスポーツ自転車に3年生全員が夢中になった。漆黒のつや消しボディに見たことがないバッファローの角のようなハンドル、レーザービームが出そうなヘッドライト、ジェットエンジンのようなテールランプ。極めつけは素人が下手に動かしたらタイムスリップしそうな変速機がトップチューブに搭載されていた。
みんなこのスーパーカー自転車に試乗したがったが、Y君はシフトチェンジをガチャガチャ動かしながら「ダメだ」と言った。少し悔しかったがどうにもならないので、予定通り小学校のグラウンドでみんなで野球をして遊んだ。
小一時間ほど遊んだ後にお腹がすいたので、近くの駄菓子屋まで行こうとなった。私はまだスーパーカー自転車の事が気になっており、隙あらばシフトチェンジだけでもしたいと機会をうかがっていた。
駄菓子屋で10円ガムを買って当たっていないか確認していたら、Y君はポテトチップだったか袋状のスナックを買ってきた。するとすぐにお菓子を食べすにスーパーカー自転車に向かって行き、リヤサイドの折りたたみ式カゴを開いたかと思うとスナック菓子を放り込んだ。
彼はおそらくスーパーカー自転車の装備と機能を全て披露したかったのだろう。そのためのスナック菓子だったのだ。Y君の思惑通りに、折りたたんだカゴが開くさまを見て、私はカウンタックのガルウィングを連想し非常にうらやましい気持ちになった。結局その日は少し車体に触れたものの、シフトチェンジしたり試乗はさせてもらえなかった。
そしてスーパーカー自転車に憧れを持ったままの私は4年生になった。くしくもあの時のY君と同じ学年だ。すると親戚のおじさんが私のスーパーカー自転車熱を知って電話をしてきたのだ。「中古で3000円のを見つけたけど要るかい?。」
私は「要る」と即答した。絶対に必要なものだ。だが3000円の値が付き家に届いた自転車は漆黒のボディではなく緑色でサビだらけだった。そして変速が壊れていて使えなかった。これでも親戚のおじさんが整備してサビを落としたと言っていた。
とにかくスーパーカー自転車は手に入ったのだ。私は嬉しくてあの時に見た横滑りブレーキを何度も試し、折りたたみカゴにポテチも入れた。自分の夢を全てかなえた私は本当に満足した気持ちでいっぱいだった。変速できないサビた緑色の自転車だったとしても・・・。
だが、4年生の後半になった頃にはスーパーカー自転車のブームは過ぎ去り乗るものは少なくなっていった。高学年ではスーパーカー自転車はダサいという風潮になり、シンプルなママチャリに乗っているのがカッコいいとなってきたのだ。チェーンとギアのかみ合わせがおかしくなったのを機に私もママチャリに買い替えた。
今思えばあの斬新なスタイルの自転車はかっこよく、いつ見ても懐かしい気持ちになる。同じ気持ちの大人が多いのか、フリマやオークションサイトは今でも高値で取引されている。自分もどこかで安い中古を見かけたら衝動買いしてもいいかなと思う。